2024年4月
【提案】学校における「プロボノ」精神の浸透を
ウィキペディアでは、「プロボノ(Pro bono)とは、各分野の専門家が、職業上持っている知識やスキルを無償提供して社会貢献するボランティア活動全般。または、それに参加する専門家自身。」のこととされています。 学校の先 […]
【提案】非認知能力をめぐって⑥ 「非認知能力」と「学級づくり」の関係
私は小学校教員からスタートしましたので、小学校教員時代は先輩の先生から、「いくら教材研究やっても、学級づくりがちゃんとできてなかったら、いい授業ができない。」と言われて育ちました。「学級づくり」とは、学級内で一人ひとり […]
【提案】非認知能力をめぐって⑤ そろそろ「非認知能力」という言葉を使うのをやめて「社動(シャドウ)スキル」と言いませんか
これまで「認知能力」と「非認知能力」という言葉の使い方は、二項対立的なイメージを持たせがちな用語であると感じてきました。教育の世界では、これまでも「形式陶冶か実質陶冶」や、「系統主義か生活(総合)主義」といった言葉が用 […]
【提案】非認知能力をめぐって④ 幼児教育で「非認知能力」という言葉が重視される理由
「非認知能力」に関する様々なイベントは、現在も日本全国で行われていますが、中でも幼児教育の分野での取り上げられることが多いと思われます。 私はその理由を2つと考えています。 一つ目は、「非認知能力」が、幼児期の幼稚園、 […]
【提案】非認知能力をめぐって③ もう一つの社会情動的スキルという流れ
非認知能力に関連するものとして、経済協力開発機構(OECD)は、社会情動的スキルを提唱しています。これが、非認知能力とどういう関係にあるかを明らかにしておくと、今後の議論が整理されるように思います。 OECDは、社会情 […]
【提案】非認知能力をめぐって② 非認知能力という言葉が使われ始めた背景
これからの議論は、小塩真司(2023)を手がかりに行っており、孫引き的な面がありますことをご了承ください。 非認知能力という言葉は、経済学者のヘックマン(Heckman, J. J.)によって広く使われ始めたとされてい […]
【提案】非認知能力をめぐって① 「非認知」能力という言葉に対する違和感
現在、教育界では、非認知能力という言葉が様々な局面で登場して、議論がなされています。正直、私はこの言葉を知った時点から、少し違和感を抱き続けてきました。その最大の原因は、認知でない(Noncognitive)という否定 […]
【提案】評価項目を「細分化」することではなく「子どもと共有」することの大切さ
2月9日の京都小中学校での教育研究協議会の算数・数学分科会で、評価の観点についての議論がなされました。評価項目づくりでは、様々な学習場面を織り込めるよう、どうしても多様化・細分化の方向へと向かうことが少なくありません。 […]
【提案】「概念」と「理解」をめぐる教育の話題
樋口萬太郎先生から「知識とは何か、概念とは何かで頭がぐるぐるしている一年でした」とのコメントをもらいましたので、算数・数学教育の文脈で「概念」と「知識」について考えてみたいと思います。 まず概念についてです。概念とは、 […]
【提案】概念形成過程における対比活動と批判的思考活動の峻別
「数学授業で間違った図を示して生徒の試行錯誤を促そうとすることの教師の傲慢さに対する自覚」をタイトルに、FBにアップしました。皆さんから様々なコメントをいただき、自身の考えを深めることにつながりました。その上で、概念形 […]