これからの議論は、小塩真司(2023)を手がかりに行っており、孫引き的な面がありますことをご了承ください。
 非認知能力という言葉は、経済学者のヘックマン(Heckman, J. J.)によって広く使われ始めたとされています。ヘックマンは、認知能力をいわゆる「学力」とし、それへの偏重の傾向を指摘する意味で、非認知能力を認知能力の対義語と位置づけました。そして、大規模・長期的調査によって、社会的結果(学校段階や賃金)につながる能力にはどのようなものがあり、それぞれの重みはどの程度であるのかを、明らかにしています。ここで、認知能力の尺度として用いたのはASVABという知能検査であり、非認知能力の尺度として用いたのは内的統制の所在と自己肯定感の平均値でした。内的統制の所在とは、出来事や成功、失敗の原因を、自分自身に求める傾向のことであり、これを尺度化したものです。
 その結果、社会的結果に対しては、認知能力のみならず、非認知能力の影響も大きく、その度合いは、同等もしくは非認知能力の方が上回る点もあるという結果を導き出しました。その結果をもとに、非認知能力の重要性を指摘したということになります。
 さて、ここではいくつかの検討すべき事項が見えてきます。
 一つ目は、非認知能力の尺度として用いた内的所在の統制と自己肯定感が妥当なもので、さらには過不足ないものであるのかということです。
 二つ目は、非認知能力を尺度化(数値化)している点です。昨今の非認知能力は数値化できないものであるという風潮がありますが、既にこの時点で数値化を行っていました。
 三つ目は、社会的結果(学校段階や賃金)は、一般的に何れの能力をもとに決定されるかという点です。学校の入学試験では、認知能力優位(最近は多様化?)な気もしますし、賃金に関わる会社の入社試験では、面接等で非認知能力もかなり重視されるようにも思います。
 さて、私のここでの関心は、認知能力と非認知能力の関係性についてです。認知能力と非認知能力の中身をかなり明確に区分けして、独立した左右の関係と置くのか、非認知能力を認知能力を下支えする役割として位置づけ、上下の関係と置くのかということです。私自身、現時点ではこの関係が明瞭になっておらず、もう少し考えていきたいと思います。

投稿者プロフィール

黒田恭史
黒田恭史
大阪教育大学卒業,大阪教育大学大学院修士課程修了,大阪大学大学院博士後期課程修了。博士(人間科学)。
大阪府内の公立小学校勤務8年の後,佛教大学専任講師,助教授,准教授,教授を経て,現在,京都教育大学教育学部教授。
京都教育大学では,小学校教員養成,中・高等学校(数学)教員養成に従事。近年の研究テーマは「数学教育と脳科学」の学際的研究。

小学校勤務時代,クラスで豚を飼うといった取り組みを3年間実践。フジテレビ「今夜は好奇心」にて1993年7月放映。第17回動物愛護映画コンクール「内閣総理大臣賞」受賞,第31回ギャラクシー賞テレビ部門「ギャラクシー奨励賞」受賞。

著書に,「豚のPちゃんと32人の小学生」(ミネルヴァ書房),「脳科学の算数・数学教育への応用」(ミネルヴァ書房),編著に「数学科教育法入門」(共立出版)などがある。