2月9日の教育研究協議会では、授業者の先生は研究授業がメインですが、私は算数・数学分科会がメインになります。附属京都小中学校の先生にも、「困ったら黒田先生に振りますからね」と事前に言われていますので、結構気合を入れて挑んでいます。
 分科会の中で、「本時のめあてを子どもの主体性から導き出そうとする授業」について議論になりましたので、私の考えを書いておきたいと思います。結論から言うと、私は授業の冒頭で本時のめあてを子どもから導き出そうとすることに対しては否定的です。その理由はシンプルで、教員が予め描き持っている本時のめあてに、子どもの思考を「緩やかな圧を持って」当てはめていく作業が、時間的にも精神的にも無駄であると考えるからです。本時のめあてを、本当に子どもの自由な発想に委ねるのであればいいのですが、そんなことを毎時間の算数でやれば、その学年での教育内容は到底終わりません。また、公開研究授業の時だけやるのも、意味がありません。
 何よりも、子どもの主体性を、本時の学びに対する知識が無い中で求めること自体が、無意味であると考えるからです。コンピュータに対する前提知識が無い人に、「コンピュータはすごい装置だから何をしたい?」と聞いて、「未来に行ってみたい!」と言われても意味のない会話がなされるだけです。極端な例を出しましたが、私の言いたいことは、そうした先生の問いに対して、「子どもの主体性」を発揮することのできる子どもとは、先生の思惑に対する忖度を働かすことのできる「かしこい子ども」であることが少なくないからです。そして、先生の意図に沿った発言が出たことに満足し、これで授業の目標の半分を達成したと勘違いする先生の心理も改めて考えなくてはなりません。「まだ、授業は始まったばかりですよ。」と。
 私は、子どもの主体性は授業の後半・終盤にこそ、発揮されるべきだと考えています。三角形の内角の和が180°を前提知識として、本時では四角形の内角の和が360°であることを学習したとして、授業の後半に、「じゃあ先生、五角形どうなんやろ?」という子どもの問いが出ることこそが重要だと考えています。三角形180°で四角形360°なので、加法積算して五角形は360°+180°=540°になるのか、乗法積算して180°、360°なので倍々で360°×2=720°になるのだろうかというような思考の巡りこそ、子どもの主体的な学びと考えています。
 この後半・終盤の時間を十分に確保するためにも、授業の冒頭での「本時のめあてづくり」の時間は、多くの課題を持っていると思います。ここに10分程度費やすといった授業を見ることもありますが、改めて真の意味での「子ども主体性」を考えていきたいと思います。

投稿者プロフィール

黒田恭史
黒田恭史
大阪教育大学卒業,大阪教育大学大学院修士課程修了,大阪大学大学院博士後期課程修了。博士(人間科学)。
大阪府内の公立小学校勤務8年の後,佛教大学専任講師,助教授,准教授,教授を経て,現在,京都教育大学教育学部教授。
京都教育大学では,小学校教員養成,中・高等学校(数学)教員養成に従事。近年の研究テーマは「数学教育と脳科学」の学際的研究。

小学校勤務時代,クラスで豚を飼うといった取り組みを3年間実践。フジテレビ「今夜は好奇心」にて1993年7月放映。第17回動物愛護映画コンクール「内閣総理大臣賞」受賞,第31回ギャラクシー賞テレビ部門「ギャラクシー奨励賞」受賞。

著書に,「豚のPちゃんと32人の小学生」(ミネルヴァ書房),「脳科学の算数・数学教育への応用」(ミネルヴァ書房),編著に「数学科教育法入門」(共立出版)などがある。