子どもたちは、無菌室の試験管の中での実験のように、同じ試薬を施せば、同じ変化を起こすわけではありません。当然、これまで獲得してきた知識や技能は子どもによって異なるため、同じ発問をしようとも、異なる対応をすることは当たり前のことです。
 そこに、人類が長さの普遍単位を獲得してきたプロセスに似せた、直接比較・間接比較・任意単位・不変単位の順に指導がなされたとしても、生活している時空間が現代である以上、それらをとっくに飛び越した事物が子どもの身の回りにあふれているのです。「物差しで比べたらいいやん」という子どもの発言は、授業を台無しにするという意図ではなく、子どもの素朴な思考が発話につながっただけのことです。
 その発言に「びくびく」するということは、子どもに問題があるのではなく、授業者である大人の授業の制度設計に問題があると捉えた方が、自然な思考のように思えます。むしろ、物差しの存在を前提に長さの授業を設計するとするならば、どのような接近方法があるのでしょうか。私は、まずは長さを測る道具である物差しについて紹介・共有するとともに、物差しを使って長さを正しくはかる技能について、丁寧に指導します。直線(線分の意味)と物差しの端のそろえ方、水平以外の様々な角度の直線の長さ、さらには、曲線の長さを糸などを使ってなぞらせ、ぴんと張って長さを計測させます。何しろ、曲線はそのままでは物差しで測れないので、長さが測れない(あるいは、長さがない)と思っている子もいます。
 その上で、私たちは物差しをいつも持って外出しているわけではないので、物差しのない状態での長さの測定、判断についての眼と感覚を養うことを学びます。ここで、直接比較・間接比較・任意単位が登場してきます。外出してお店に入って家具類を見ていたら、自分の部屋の机の隙間に入る棚が欲しいと思って大きさを予測するといった場合がそれにあたります。同じA店の商品を比較するのであれば、直接比較ができるでしょうし、A店とB店の商品を比較する際には、何かを媒体にした間接比較が必要となります。任意単位の指導に際しては、両手で隙間を開けたものを1ユニットとする子どもがいて、先生はそれもありとする場合がありますが、こうしたものを1ユニットとすることは、1ユニットの長さの可変性を許すことになるので、注意深く指導する必要があります。指先から第二関節までの伸ばした状態の長さといったように可変性のない任意単位を考えさせるように指導しなくてはなりません。そこまで指導してから、改めて普遍単位のcmの指導に戻ります。そして、家にいる人に電話で聞く際には、机の隙間は何cmかを教えてもらえれば、その絶対的な長さというものが、時空を超えて不変であるという事実に触れることができます。
 最初に「物差しを使わずに」という前置きをしてから、授業をスタートされる場合もありますが、私は最初に物差しを存分に使わせてあげることが、子どもの満足や安心につながると考えています。人間、「使うな」と言われたら、何故か「使いたくなる」ものですので。

投稿者プロフィール

黒田恭史
黒田恭史
大阪教育大学卒業,大阪教育大学大学院修士課程修了,大阪大学大学院博士後期課程修了。博士(人間科学)。
大阪府内の公立小学校勤務8年の後,佛教大学専任講師,助教授,准教授,教授を経て,現在,京都教育大学教育学部教授。
京都教育大学では,小学校教員養成,中・高等学校(数学)教員養成に従事。近年の研究テーマは「数学教育と脳科学」の学際的研究。

小学校勤務時代,クラスで豚を飼うといった取り組みを3年間実践。フジテレビ「今夜は好奇心」にて1993年7月放映。第17回動物愛護映画コンクール「内閣総理大臣賞」受賞,第31回ギャラクシー賞テレビ部門「ギャラクシー奨励賞」受賞。

著書に,「豚のPちゃんと32人の小学生」(ミネルヴァ書房),「脳科学の算数・数学教育への応用」(ミネルヴァ書房),編著に「数学科教育法入門」(共立出版)などがある。